自分を振り返るための文章【ジャーナリング的仏教心理学】

久しぶりにブログの更新です。いろんなことを少しずつ挑戦し続けるなかで、止まってしまったり、諦めてしまったものも少なくはありません。「文章を書く」というのもずっと課題として意識しているものの、なかなか定期的に動くのは難しいなと考えています。

ジャーナリング

みなさんはジャーナリングというのは聞いたことがありますか?

いわゆる日記のようなものなんですが、自分の体験や思いを書き綴る中で自己対話を促進し、これからのビジョンに思いをはせ、自分へのコーチングやカウンセリングになるような役割を果たします。

僕自身はジャーナリングという言葉は知りませんでしたが、実は昔から自分の考えを書いてまとめるというのは好きで、手帳やパソコンに思い立った時に思考を書きまくるということはしていました。

毎日しているわけではなく、気の向いたときに程度でいい加減なものです。書いている内容も特に決めてはおらず、いろんなことをバーッと書いています。

自分の過去を振り返って見えてくるもの

書いているときはなんとなく吐き出したような気がして気分がいいものです。カウンセリングで傾聴をしてもらったような効果は多少はあるような気がします。

一番の意味は、数年後に振り返るときかなと思っています。振り返ることもめったにしません。時間が空いて、何もすることが無いなというときや、やることに追われているけど現実逃避がしたいときに昔の自分の書いたことを振り返ったりしています。

それも丁寧に読むというよりはザーッと眺める感じです。自分の書いたものなので、ザーッと眺めるだけでも記憶は蘇ります。

すると気づくのです。同じようなことをぐちぐちと言い続けている自分に。○○したいとか、○○できないとか、永遠に同じことを言っています。情けないものです。いい加減に動けよという感じです。

一方で、数年前のものにさかのぼると、当時、課題だったことを解決していたり、昔は難しいと考えていたことを今では軽々とやっていたりもするのです。最近の自分を眺めるだけでは、何も成長せずに落ち込むだけですが、数年前の自分と比べるとまんざらでもないような気がしています。

ということで、ここではジャーナリング的に文章を書きまくってみようかと久しぶりに開いてみました。

2年前に開設し、いろいろ考えていたけど、止まってしまったブログです。今さらカッコつけるものでもありません。自由気ままに更新していきますので、お付き合いいただける方はどうぞのんびりとお読みくださいませ。

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